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あいちトリエンナーレ2019訴訟、名古屋市の敗訴は当然です。 [社会系]

「あいちトリエンナーレ2019訴訟」で
名古屋市の敗訴が最高裁を経て
決定しました。
20190729-01.jpg
〈引用:プラザホテル豊田〉

昭和天皇の肖像画を焼くことが
芸術なのか?を議論することには
大きな意味があります。
この映像作品を作った大浦信之氏も
望むところだとは思います。
「大浦氏の作品」リンク貼ってます。

また、芸術に金(税金)を出すことが
当たり前だという認識は出す側より
受ける側によりう厳しくあるべきだ、と
考えます。

今回の訴訟のように「金を出す」と
木全にも関わらず、展示内容に
多少クレームが付いた程度で、
「やっぱり、止〜めた」では、行政と
しての信念を疑われてしまいます。
税金(金)の使い方は全ての国民が
賛成する事はありえません。
多少、あるいは多くの人がその事業に
反対したとしても、一度決定した税金の
使い方が覆る事は、ほとんどありません。

今回のあいちトリエンナーレも税金を
投入する限りは「公共事業」です。
簡単には名古屋市の主張が
認められる方が大問題です。

昭和天皇の肖像画を燃やす作品が
反日的というのは、天皇と日本国を
直結させすぎです。
「昭和天皇」という存在が近代日本史を
象徴している事は、
ある程度は理解しますが、
現憲法下での「天皇」と「日本国」との
関係には矛盾します。

一般市民が様々な思い入れを持って、
作品を批判することは容認できても、
名古屋市の首長がそれを批判するして、
税金の使い方に異議を唱えるのは
明らかに見識が低すぎです。

現代アートはほとんど人が
理解できません。
また、映像作品はその背景を知った上で
見ないと深層の理解はできません。

心地良いだけではなく沈んだり、
かなり後味の悪い感情が残る、
どう見ても「キレイ」ではない、
正直いえば「汚い」しか見えない。
このように様々な感情を作品は刺激します。

「怒り」が起きるのも「正しい」反応です。
美術館、主催事務局にその感情を
訴える行為は許される範囲だと、考えます。
市役所に業務に支障が出るほどの
クレームをするのは、全くお門違いです。
そしてクレームをした多くの人が
その作品を実際見た感情では
ないことが、大きな問題です。

ここまで8年近く経っても
ニュースになるのですから、
ある意味では
「あいちトリエンナーレ2019」は
大成功、と言えます。
それには河村名古屋市市長が
貢献した事は
間違いない!!です。
これも現代アートの一部です。


実は、アートは意外と詳しいです。

では、次回まで、御機嫌様
ご自愛くださいませ。


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